■『竹内浩三全作品集 全1巻』の
 装幀/口絵構成を担当しました。(遺稿類62カット撮影)
日本が大戦へ急速に向かっている頃、一人の少年が学校で、旅先で、東京の下宿先で、兵舎の何処かで、死までの残された時間と競うように自らの青春を書き綴った。死までの10年間に描き続けた漫画をはじめ、ランボーやゴッホのように書き続けた手紙、多くの短編、日記、随筆が彼の分身のように遺された。その比類ない感性はおそらくこれまでのどの作家とも重ならない。抗うことのできない運命の中で、むしょうに明るく、しかも、正面から自らと時代に向き合おうとした。戦争を描くことによって戦争を超えようとさえした。そんな日本人がこの日本には確かにいた。無名のままにこの世を去って57年目、彼の全作品が一冊の本になった。表題の未発表作「日本が見えない」は、彼の透徹とした眼が現代社会さえ鋭く射抜いている。必読!(久田)  
 

<竹内浩三のプロフィール>
1921年三重県宇治山田市に生まれる。34年、宇治山田中学校に入学。同級生と共に「まんがのよろずや」「マンガ」「ぱんち」と題した手作りの回覧雑誌を作る。担任の数学者も驚くほど、幾何学の成績が抜群だったが、教練は不合格。40年、日本大学専門部映画科(現日大芸術学部)へ入学。42年、友人らと『伊勢文学』を創刊。同年10月に三重県久居町の中部第三十八部隊に入営、43年に茨城県西筑波飛行場へ転属される。44年1月1日から、「筑波日記一」の執筆を開始。7月27日に「筑波日記二」中断、12月、斬り込み隊員として比島へ向かう。45年4月9日、「比島バギオ北方一〇五二高地にて戦死」(三重県庁の公報による)。享年23歳。

■2006年度ノーベル文学賞受賞作家、オルハン・パムク著

『わたしの名は紅』の装幀をしました。